みちばた日誌

いまをぼちぼち生きる。

水曜日の深淵

週半ばの水曜日には魔が潜む。私はそれを提唱したいと思います。土日休みの仕事をする人間にとっては折り返し地点。3日間を命からがら生き延びて、あと2日生き延びれば神より賜りし休息の日が迎えられるわけです。あと2日…あと2日かぁ…。

 

そう、あと2日が長い。それは悠久と言い換えてもいい長さです。ひ弱な人間に何もなしにそれを乗り越えろというのはあまりに酷というものでしょう。そこに、“魔”はつけ入るのです。

 

魔の侵食を許した人間は欲望に忠実となります。週アタマの勤勉さはどこへやら、欲が服を着て闊歩しているような浅ましい存在になりさがるのです。そうなるとどうなるか。

 

はま寿司で寿司を貪るのです。平日の、待ち時間が一切ないコンフォータブルな環境で、カウンター席につくやいなや「まかない軍艦」を2皿注文するのです。ここまでの流れに一切の淀みはなく、まさに流るる水の如き動きでこなしていく。“魔”が宿っているからこその身のこなしです。

 

その先もまた恐ろしい光景が続きます。美味しんぼでグルメを学んだ人間なら卒倒するような、無軌道な注文が叩きつけられていきます。シーフードサラダ、まぐろユッケ、シーフードサラダ、炙りヒラメのゆずが添えてあるやつ、納豆、シーフードサラダ、まかない軍艦…。

 

だったらもうスーパーでサラダ巻きを買って食えばいいじゃないか。お前は寿司を食いたいんじゃなくて、寿司を肴にシーフードサラダ軍艦を食いたいだけじゃないのか。そう自分の中にいる仮想敵が石を投げつけてくるのを感じます。

 

うるせーーーーーーーーーー!!!!!!!!!

じゃあお前は一生シーフードサラダ食うなバカ!!!!!!!!

 

恐ろしいですね、怖いですね。

画面の前の皆さんも、週半ばにお寿司屋さんの前をうっかり通るなんてことはなきように。

魔の手はいつだってあなたを狙っているということをお忘れなく…。

祝いの席で思うこと。

先日、高校時代からの友人の結婚式に行ってきました。15年近いつきあいになる友人で、卒業後もなにかと気にかけて地元に帰ってくるたびに連絡をくれる貴重な人です。そんな友人の結婚式で感じたことを綴っておこうと思います。

 

会場は神戸ポートアイランド。こちらも10年来のつきあいになる大学入学のときに買ったスーツに袖を通し、最低限の荷物をポケットに詰めて家を出ました。神戸に行くのにカバンを持たずに出るのは人生で初めてでした。新鮮な感覚でした。

 

無事会場入りができたのですが、通りかかるスタッフの皆さんから「本日はおめでとうございます」と声をかけられました。結婚式に不慣れな私はそれにどう返答していいものかわからず、どうも〜とか、ありがとうございますとか、しっくりくる返答を模索しながら応えていました。ただ、いまだに正解はわかっておりません。笑

 

しばらくして自分の知人もぞくぞくと到着し、そちらはそちらでなかなか会えないメンツということもあって世間話に花が咲きました。マッスルフォーの話とかしてた記憶があります。我々の界隈では令和においてもイロモネアは世間話の範疇だと解釈しております。

 

そうこうしてるうちに式がはじまり。チャペルで待機していると新郎である友人が入場してくるのですが、そのときに読まれたお母様からのメッセージがとてもよかったです。それは会場のあちこちから聞こえる誰かのすすり泣く声で多くの人の心を打ったことがわかりました。思えば、ここをきっかけに最後までずっと「あーいい結婚式だなぁ」と感じてた気がします。

 

さて主役であるところの新郎新婦のことも書かねばですね。新郎、私の友人は少なくとも知り合ってから一番の緊張をしてたと思います。まぁ当たり前っちゃ、当たり前の話ですが。笑

ただ普段の姿--飄々と、それでいて周囲への気遣いもバランスよく持ち合わせた本当にできた人間であるところの彼が--あそこまで硬い表情になってることが、結婚というものの重みを感じさせてくれたように思います。そうはいいつつ、彼の堂々たる立ち振舞を見てこれからの二人の生活を心配する人はいなかったんじゃないでしょうか。

…うーん、褒め過ぎか?笑 まぁ正直にそう感じたことだし致し方なし。今度会ったら褒め殺し税の徴収をしよう。

 

一方の新婦さんの話。いやむしろ、新郎よりも新婦さんのことを話しておきたい。笑

ありがたいことにお二人が籍を入れる前から時々一緒にご飯に行ってくれたりして、私は新婦さんとはすでに面識がありました。その彼女のなにがすごいって落ち着きようというか、普段と変わらない穏やかな表情。これが本当に印象的でした。

元々すごい美人さんですが、ドレス姿に目を奪われたのはきっと私だけではないと思います。だけど式のどの瞬間を切り取っても、表情の柔らかさというか、見る人を安心させるかわいらしさみたいなものが同時にそこにあって。そこに彼女の人間性みたいなものを感じられて、本当に素敵だったなぁと。

 

こんな二人の姿を目の前にしたら、もう「あ〜お似合いだなぁ…」としか思えないわけで。衆目の前で誓うまでもなく、二人はちゃんと幸せに過ごしていけるさ、と。そう掛け値なしに思わせてくれました。そういう二人の式に呼ばれたことを誇りに思ったのはきっと私だけではないと思います。

 

あ、そうだ。もう一人、ちゃんと書いておかないといけない人がいました。友人代表としてスピーチの場に立ったF氏です。

当日合流してからずーっとスピーチのことで頭悩ませてた彼ですがね、本当に良いスピーチしよるんですよ!笑

間のとり方といい、笑いの入れ方といい、話のテクニック面については正直勉強になったくらいです。責任感の強い人なので相当練習したことは想像に難くないし、こういう人前で話す機会も多いのだと思います。お世辞抜きに今まで経験した結婚式では一番聴き入ったスピーチでした。

 

でも一番よかったのは、技術的な部分というよりもむしろ気持ちの部分だったんじゃなかろうかと。こういうのはうまく言葉にできないのですが、等身そのままの親友としての話を、あれだけの人の前でできるのはやはり彼しかいないと思いました。出席者のみなさんに「どうだ、うちの大将はすげぇだろ!」って誇らしく感じたのはここだけの話。

…よし、こいつからも褒め殺し税取るか。笑

 

そうそう、出席者の方々についても触れないわけにはいかない。素敵なお二人の結婚式に来るのは、やっぱり素敵な人たちなんだと思いました。極度の人混み嫌いのこの私が居心地のいい空間だったと振り返るのですから、相当なものだと思うのです。新郎新婦ふたりに共通する美徳は天真爛漫さだと私は思っているのですが、そのルーツみたいなものを垣間見た気がします。

 

最後にうちのグループの面々の話。今回式に呼んでもらったこのグループは、元々高校の生徒会メンバーの集まりでした。私は当時生徒会でもなく、グループに加わったのは卒業してからしばらくしてからのこと。共通のしりあいが多かったこともあって年何回かの集まりに呼んでもらうようになったのですが、これもまた不思議なご縁といいますか。ここに合流していなかったら、この式にも来れてなかったかもしれないと思うと一層人生というのはわからんなぁと思うのです。ありがたや。

 

この結婚式にこの二人のために、この人たちと集まれたことは、自分にとって財産になったと思います。こんなにも素敵なふたりの人生のなかに、自分の存在を置いてくれているということ。それがすごく胸を熱くさせてくれるのです。

長々と書いてしまいましたが、お二人のこれからの幸せを(余計なお世話と思いつつも…笑)陰ながら願っています。本当に、本当によい式でした。

膨らんだお腹でパチパチになったスーツを着ながら、そんなことを思っておりましたとさ。笑

 

ではまた。

月夜の故郷を散歩する。

今日は中秋の名月。仕事を終えて帰宅してから1時間ほど散歩しながら、くっきり明るい満月を眺めておりました。

 

しばらく歩いて昔通っていた小学校の通学路に出ました。通学路沿いの建物はそのままだったり建て変わっていたり、綺麗サッパリなくなっていたり。人生30年目に突入し、ほぼほぼこの町で過ごしてきたわけで、感じるのは町も自分も変わったり変わらなかったりしてるなぁ…なんてことでしょうか。

 

地元を離れようと思わず、そして幸運にも離れる必要なく過ごせてきた人間にとって、故郷はノスタルジーを感じさせるところではなくて、生々しくも人肌のような温かさをもった現実としてただただ存在している気がします。

 

そんなことを思いながら、マックスバリュで買った雪見だいふくを頬張りながら人気のない町を歩いておりました。昨日のアメトーークでやってた「つい食べちゃう芸人」を見たせいか、罪悪感のかけらもなく夜中にアイスを食べました。

 

ずいぶんと一人の過ごし方がこなれてきた、と我ながら思う反面。こういう夜に取り留めもない話をしたり、あるいはなんにもしゃべらず黙々と一緒に歩いてくれる人がいたらいいな、などとぼんやり思ってみたりしちゃったりなんかして。

 

故郷の道はどこに続くか、歩みを止めなければそのうち見えてくるのでしょう。今日のように明るい月の日には、根拠もなく明るい未来が待っているような気がします。そんなよい気持ちのまま、今日はこのへんでおやすみなさい。

ため息いっぱいの週初め。

今日の自分は腑抜けていたな、とぼんやり思いながらコメダで紅茶をすすっています。週明けの仕事なんて気合の入れようがないわけで、まぁそれ自体はいたって平常運転ではありましたが、それにしても今日は輪をかけてやる気がなかったなぁと。大きめのため息がひとつ、ふたつとこぼれます。

 

スタッフが自分一人の日で気が緩んだのか、利用者さんが少なかったからか。職場のネットがいきなり落ちてその復旧にバタバタしたからか、それもあって仕事が時間内に終わりそうにないことを早いうちから悟ったからか。

 

運動不足が祟って体重が増えたからのも、それもあってか腰の違和感が日に日に増していることも影響していると思います。やたら持て余す時間とそれを埋めるために無限に湧く食欲に振り回されているのも気に入らない。はたまたなんとなく的を外しちゃってるなぁと自覚せざるを得ないここ最近の自分の言動とか。

 

頭のなかの大小さまざまな不満の種を書き連ねつつ、大きなため息がまたひとつ。頭上で回るプロペラを眺めながら、腹の中のよどみを店内に振りまいております。…といっても店内に自分を気にかける人などおりませんので、このよどみが他のお客さんに迷惑をかけることもなさそうです。

 

チェーン店の喫茶店のよいところは、自分が嬉しかろうと悲しかろうと、そんなことは関係なく自分を”風景の一部”にしてくれることだと思います。思い、考え、感じる主体としての自分から離れて、有象無象のひとつとして世の中に溶け落ちていくような、そんな気持ちになれる場所な気がします。

 

だからこんな愚にもつかない愚痴を書く自分を許せるのです。私は有象無象のひとつで、こんな斜に構えた文章を書いていることだって”コーヒーショップの風景”として成立するのだから。それはとても安っぽくてしょっぱいシーンではありますが。笑

 

自分と世の中を行ったり来たりするための鍵は、もしかするとため息なのかもしれません。ため息と一緒に自分が外に漏れ出していて、内と外とをこう、なんかいい感じに取り持ってくれているような…?

 

なんかうまくまとめられないので今日はこの辺で終わります。笑

では。

連休にあてて。

私はいま、とても緊張しています。なぜか。明日からお盆休みで前代未聞の6連休がやってくるからです。仕事をはじめて年末年始を除けば、これほどの連休を私は経験したことがありません。それゆえ異様な緊張感が私を襲っているのです。

 

となれば、私はコメダ珈琲に行くしかないと判断したのです。いまの仕事を始めてから、うれしいときもつらいときも、気持ちを整理するためにやってきたのはコメダ珈琲なのです。私はミルクコーヒーを注文しました。心を落ち着けるためのルーティーンです。

 

そんな折、友人グループからのLine。「いまから掃除するから通話したい」との内容。それに対して別の友人、「連休前で仕事中」。

 

そうなのです。世の中ではいまこの瞬間も頑張っている人がたくさんいるのです。仕事を終え、浮足立っていた自分に喝をいれます。襟を正し、頑張っている彼らにエールを送らねば。

 


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「仕事終わってコメダはいっちゃった♡」

 

ーー夏がはじまる

山陽電車に揺られながら。

ブログや日記を書きやすい場所というものがあります。私の場合、それは近所のコメダや終業後の職場のデスクだったりするのですが、なかでも書き仕事がはかどるのが移動中の電車内だったりします。そんなわけで今日も山陽電車のなかからお送りします。

 

姫路から神戸・大阪方面に出ようとするとき、電車を使うとすれば間違いなくJRを利用するのが一番早く目的地に向かえます。新快速の名は伊達ではなく、姫路〜大阪間ならきっかり1時間で着きます。在来線ゆえ普通料金で乗れるので、理由がなければこの方法がもっともメジャーな移動手段といって差し支えないと思います。

 

一方の山電こと山陽電車山陽姫路からそのまま乗り入れが可能な阪神電車の大阪梅田駅まで直通快速というものがあり、文字通り乗換なしで梅田まで移動が可能…なのですが、それには1時間40分という時間を要します。では料金はというと、往復で400円ほど安い程度。こうなるとあまり移動手段としてのプライオリティはあまり高くはなさそうですが、それでも私は山電を好んで使っています。

 

理由は大きく2つあって、その1つは一日乗り放題のワンデイパスがあること。上記区間を乗り降り自由で使えて、かつ普通に往復きっぷを買うよりも安くつくということもあってメリットが大きいのです。三宮なんかにも道中立ち寄れたりで、予定をたてずに動くのが好きな私にはうってつけのお得なきっぷの存在は非常にありがたいです。

 

そして理由の2つ目が移動時間の長さがむしろ好都合であるということ。ここで冒頭の話につながるわけですが、ブログを書いたり、考え事をしたり、飽きたら漫画を読んだりネット麻雀をしたり…と移動時間を有意義に使えることこそ山電を使う最大の価値だと考えています。

 

私の場合、せっかく遠出してもだいたい途中で体力が尽きて思考力ががっつり低下するので、用事を済ませてしまってから時間をもて余すことがほとんどです。ひどいときは出先で1時間も過ごせばベッドで横になりたかったりしてる。こうなるとネガティブな方に気持ちが振れてしまうリスクにもつながるので、実はおでかけしたときの時間管理は非常に重要な問題だったりします。…我ながらほんとめんどくさい。笑

 

その意味でそもそも移動時間が長いことはむしろプラスに働くことが多いのです。スマホいじってるうちに1時間なんてあっという間に過ぎていくし、イヤホンつけてれば好きな音楽を聞いていられるし。一方で自室と比べて出来ることにほどよく制限もかかって、ぼんやりものを考える時間をもてたり。こうやって文字にして考えをまとめるのも、自宅で漫然と過ごしていてはなかなかできないわけです。

 

出先でストレスのかかる時間を抑えつつ、無理をせずに普段できないこともできてしまう。私にとって山電に乗ることはただの移動手段ではなく、いってみればひとつの旅の目的なのかもしれません。そう考えると2400円のきっぷ代が安く感じられる…かも?

 

イヤホンから聞き馴染んだpillowsのアルバムを流しながら、電車は少しずつ大阪へと向かっていきます。ドアに近い席に座ったのでエアコンは寒すぎず暑すぎず。こうなると梅田で降りるのがもったいなく感じさえしてきましたが、せっかくの休日です。ここからは都会で普段できないことでもしてこようかと思います。ではでは。

ルマンドと付き合いたい。

ブログをやっていてつくづく良かったと感じる瞬間の一つが、誰かにだる絡みしたくなった気持ちをインターネットのドブ川に不法投棄するときだと思います。喜怒哀楽のいずれに該当するかわからないような感情に襲われる週末の夜。こんなときは心の移ろいゆくままに、湧いては消える泡沫のごとき言葉の調べを奏でましょう。虹色の油膜が映えるドブ川に、不協和音のあぶくを添えて。

 

お菓子で付き合うとするならルマンド一択である。もはやそれはこのちいさな島国Zipangの漢ならばあらためて確認するまでもないことであるのだが、今日はあえて言葉にしてみようと思ふ。上の口にホワイトロリータ咥えて傾聴されたし。

 

まずルマンド嬢の容姿であるが、和を感じさせる妙齢の子女である。「和を感じさせる」も「妙齢」もふわふわした表現であるが、そのあたり各人の想像に遊びをもたせる一種の仕掛けであることをご留意願いたい。どんとしんくふぃーる、お前の中の獣を解放しろ。

 

つづいて内面であるが、非常に繊細である。子女に対して日本男児が向かい合う際、雑な振る舞いをすることはご法度である。かばんの中にもらったルマンドをそのままつっこんで帰宅したときには粉々になっていた、なんて経験があなたにもあるのではないだろうか。思いあたるそこのあなた、夜が明けたらすぐに泌尿器科に赴きパイプカットされたし。

 

繊細な反面、しかし一方で面の皮の厚い一面もあるルマンド嬢。蝶よ花よなうら若き乙女にはない、社会を生き抜くための顔を彼女は持ち合わせているのだ。誰とでもある程度仲良く、ゆえに深い仲の人間は少ないタイプである。外面がよい、と言い換えてもよい。脆く危うげな心の内を守るため、不要な争いを避ける防衛本能とでもいうべき資質である。

 

そんなルマンド嬢とのデートはもっぱら美術館に書店めぐり。いつも客がまばらな、しかし地元に根強いファンがいつの時代も一定数いるタイプの喫茶店でその日見たものの感想を語らったり、各々が買った本を読んだりしながら静かな時間が流れていく。そんな時間を共有することが、不器用なふたりの幸せな時間なのだ。

 

その後なんやかんやあって、彼女に手ひどくフラれるわけであるが、そういう自分の手に負えないところも好きなのだ。臆病な私は彼女を傷つけることを恐れて、結果彼女が本当に求めていることに気づかないのだった。本当に必要だったのは彼女を傷つけまいと努力することではなく、彼女を守り抜くという覚悟であると気づくのはもっとずっと後のことであり、そう悟ったことでようやっと彼女を思い出にするのである。

 

ちなみに彼女にしたくないお菓子筆頭はエリーゼである。ホワイトもブラックも異なるベクトルでやばい女感がすごい。お菓子としては好きだけど。では。