みちばた日誌

いまをぼちぼち生きる。

病み上がりおじさん、悩むの巻。

昨日の朝、お腹に違和感を感じて起床。なんか悪いものでも食べたか、あるいは窓を開けたまま眠って寝冷えでもしたか、などと考えながらとりあえず朝ごはんを食べました。

 

しばらくして腹痛がキリキリした痛みから中から響くような鈍痛に変わりだして、こりゃたまらんと。布団に横になり季節外れの湯たんぽを抱きながら、痛みが引くのを待ってみますがどうにも治まる様子がない。挙句の果てには38℃超えの熱まで出始めて、諦めて休日診療をしてくれるところに連絡をいれました。

 

こういうとき、実家で暮らしてるとありがたいって思います。車を出してもらったり、食欲がないときの飲み物やら食べ物やら買ってきてもらったり。つらいとき支えあえるのが家族ってもんでさぁね。

 

…まぁ現実は孫の面倒みるのが大変だから勝手に病院に行け、帰りにポカリを自分で買ってこいなわけです。たまに遊びにくるかわいい孫>いつまでも実家に寄生するどら息子、それはそう。ぐうの音もでぬ。ぐぬぬ

 

熱こそあったものの咳や鼻水といった症状はなく、腹痛の割には下痢もなくで動いてみると意外と自分でなんとかできることがわかり、病院で診察を受け(とりあえずウイルス性の胃腸炎という診断がつきました)、薬をもらい、帰りのドラッグストアで焼きプリンを買うなどしました。体調壊したときには焼きプリンを買うのが我が家のしきたり。もちろん我が家のカースト上位存在である孫’s用に多めに調達。実家で暮らすのも楽ではないことを痛感します。

(なお、孫’sはプリンがお口にあわないそうで手をつけずに帰っていきました∵)

 

さて、一夜明けまして。処方された解熱剤がよく効いたようで、熱の方はほぼ平熱に落ち着きました。お腹の方の痛みもずいぶんやわらいではいましたが、大事をとって仕事は休ませてもらうことに。休みをつかって消化器内科で検査をしてもらうことにしました。

 

ところがどっこい、あてにしていた近場のクリニックが発熱があると診療できないなどといわれてしまいまずは出鼻をくじかれる。次いで考えていた総合病院は月曜には担当医がいないとのこと。ほかにあたれそうな医療機関を探しているうちに気づけばもうお昼。

 

結局かかりつけのお医者さん(普通の内科)に診てもらうことにしましたが、クリニックの前まできてふと考えまして。

 

①熱は平熱まで下がった

②腹痛も徐々に落ち着いてきている

③昨日もらった処方薬もまだ残ってはいる

 

以上の三点を考慮したところ、「はてさてわしはお医者さんにどうしてもらいたいのやら?」という結論に至る。いやまぁ、血液検査とかはしてもらえるとは思いますが、さすがに原因特定までは難しいだろうし、残薬あるうちに別の薬が出るとも考えにくい…というか自分が医者なら「先にもらってる薬飲み切ってから来いよ、この○潰しが…」と思うかもしれん。そう思うのは自由ですけんども、口には出さないでクレメンス…あたりまで頭に浮かんだ時点でもう…ね。きびすを返してコメダ珈琲ですわ。

 

病院には気軽に行きゃいいなどとよくいわれますが、病院でのコミュニケーションって正直かなり難易度高いと思うのですよ。自分の体調を言語化するのってかなり難しいし、なんとか言葉にしようと思ってネットで調べたりなんかしてお医者さんに(知ったような口きくんじゃねーよ、この穀○しが…)って思われたくないじゃないですか。そういう表情、感じとるの嫌じゃないですか。あと毎回自分の家庭内カースト見透かされてる被害妄想はおそらく別の病気じゃないですか。そこにつける薬は解熱剤でも抗生物質でもなく、愛じゃないですか!僕なんか間違ってますかね!!

 

発狂寸前のところでティーポットの紅茶がなくなりました。やっぱりコメダの和紅茶『瑞(みずき)』は最高でさぁね。頼むときは絶対ミルクつけてもらうべし。穀潰しと君との約束だぜ。

 

病院行くっつって家を出てきたので、みずきを飲み切るくらいの時間が家族へのカモフラージュにはちょうどよい。しかし病み上がりなのにこんなに気を遣わないといけないのはなぜか。みずきだけが俺にやさしい。一生そばにいてくれ、みずき…。

下関の思い出。

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新下関駅に着きました。これは駅からの車窓。あまりにも情報がない。

 

下関の思い出というタイトルで記事を作りましたが、残念ながら私には下関にかんする思い出がありません。降り立ったことがない。ゼロです。なのでこの写真が私の下関のすべて。

 

何年か経ったとき、この記事を自分が見て「あれ、下関なんて行ったっけ?」と読み返して残念な気持ちになること請け合い。おい、未来の俺よ。自分の記憶に自信をもて。ブログに頼るな。

 

そろそろ博多。お腹すいたーん。

乗り慣れぬ新幹線で思うこと。

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博多に向かってひかり号に乗っております。久留米で仕事をしている友人のところに遊びに行ってます。我、九州を急襲す。(激ウマギャグ)

 

新幹線ってあまり使う機会がないのです。出張という概念がほぼ存在しない仕事をしてたり、地元が田舎のわりには生活するには支障がない程度になんでも揃うところだったりで、必要に駆られないと移動手段として選択肢にまずあがることがない。そんなわけで新幹線に乗るとそわそわしちゃうお年頃です。

 

差し当たって疑問に思とることがあるのですが、座席についてるテーブルってどれくらいの重さに耐えられるんですかね?80kgくらい体重かけても壊れたりしませんか?支えの部分がプラッチック(ネイティブ)ですけど、いきなりバキッといきません?

 

そんなことを思いながら新尾道を通過中。Lサイズのカフェオレがなくなっちゃってつらたん。ちなLサイズにいれる砂糖の量はスティックシュガー半分くらいがちょうどよいという学びを得ました。えちえち叡智。では。

眠れぬ夜とホットチョコレート。

高校時代からの友人たちと遊んできました。ボーリングしてボードゲームして飲み会。昼からわちゃわちゃしてたのでなんか学生のころの遊びができた感じでよかったです。

 

不思議なもので地元周辺にいるメンバーもGWとかで帰省組が集まるときくらいしか会うことがなくて。なんとなく各々がグループ単位で会うことがしっくりきてる感じに思ってる気がします。自分が連絡取ってないだけかもしれませんが。笑

 

久々に遊んだことが思っている以上に楽しかったようで、夜はなかなか寝付けずにいます。こういうときはあったかいのを飲んでぼんやりするにかぎります。そんなわけで最近のお気に入り、ホットチョコレートをキメちゃう。

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なんにも気を遣わずにだらだらしゃべって楽しんで、うまいもん食ってぼけーっとするのって、なかなかに非日常なものなんだなぁとしみじみ。裏を返せば毎日気張って仕事できてるってことだと思うので、一概に寂しい話だというわけでもなく、それなりな形で年を重ねられてるような気がします。話をしたり、顔つき見たりしながら、友人たちもそれぞれの人生で踏ん張ってることがひしひしと伝わってきてそれも刺激になりましたね。

 

そんなこんなで眠気がふつふつと湧いてきたので、そろそろ布団に入ろうかと思います。明日は部屋の掃除をしよう、という気持ちをうす〜く持ちつつ、まぁたぶんしないであろうことも折り込みつつ、そんな感じで残りの連休を過ごしていく所存です。ではではおやすみなさい。

カロリーが気になる方に。

…という煽り文がでかでかと書かれたヤクルトの吊り下げ広告を見ました。ヤクルト程度のカロリーを半分にしなければいけない人ってどんな人なんだろうか。これだけ大々的にPRかけてくるってことは、体絞ってるときの鈴木亮平みたいな人が世の中では主流派になってきているのだろうか、とそんなことをぼんやり思いました。

 

私なんかはこの間受けた健康診断で「ちょっとお腹周りに気をつけて食事をしてくださいね」と言われる程度にはカロリーを溜め込む生活をしておりますが、手始めにまずヤクルトのカロリーを落とすところからは始めないと思う。それよりなにより減らすべき間食がたくさんあるのです。

 

「節約のためにエコバッグ使い始めたの〜♡」などとのたまいながらスマホアプリにジャブジャブ課金するかの如き食のスタイルを貫く私にはヤクルトのカロリーを半分にする日は一生やってこない気がする。この間も仕事終わりの帰宅中、気づいたら回転寿司に入ってたことがあったし。寿司課金でカロリーもエンゲル係数も爆上げぇ!

 

かの鈴木亮平氏は『西郷どん』で主演した際には約100kgに増量を、『天皇の料理番』では病弱な役柄を演じるために15kgの減量をするなどなど、その時々で体格を作り込むことで有名な俳優さん。切り取り方で人類はみなどこかの時代の鈴木亮平スタイルだと捉えることもできなくはない、はず。太っていても痩せていても我々は鈴木亮平のもと一つになれる!

 

そんなことを電車に揺られながら思う日曜の朝。それにしても鈴木亮平はいい男である。それでは。

婚活反省記

婚活で知り合った女性との3回目のデート。次の日程を決めるところで、これで終わりにしましょうという話になりました。今日はそのことについて書こうと思います。

 

デートの終盤、喫茶店でのことでした。彼女はとても丁寧に、言葉を選びながらも自分の気持ちをまっすぐに伝えてくれました。

 

私との会話の内容には彼女の予想を超えてくるような驚きがなかった。何度かあって親しい間柄にはなれそうにないという直感がある。でも、あなたは誠実でやさしい人なのはよくわかるのであなたの気持ちを知りたい、と。

 

私はただただその話を聞きながら、こくりこくりと頷くよりほかありませんでした。私自身、彼女との関係をどうしたいのかがわからないまま、今日を迎えていたからです。できるだけ柔らかな表情を浮かべようと意識しながら、返すべき言葉を探していました。

 

相手の話に寄り添っていこうという努力は、その実、中身のないオウム返しになってしまっていた自覚がありました。自分の話ばかりにならないよう心がけていたつもりが、結局のところ浅く薄っぺらなことしか話せていないことも内心気づいていました。当たらない距離でジャブを放っているような、そんなコミュニケーションだと思います。

 

なによりも、私は彼女とのこの関係をこのままでもいいと思っていたこと。彼女の話を聞いて、ようやくそれに気づいたことが本当に恥ずかしかった。遠方から仕事で初めて関西に来た彼女は、恋人以前に知り合いを増やしたいという気持ちの持ち主でした。それを知っていて、その気持ちに漬け込んだ自分の浅薄さに、我が事ながら落胆せざるを得ませんでした。

 

彼女へは謝罪と感謝を伝えました。煮えきらないままの態度で関係を続けようとしたことへの謝罪と、真摯に自分の気持ちを伝えてくれたことへの感謝を。そしてこの関係は今日までにしようということを伝えました。

 

その後お店を出てから別れの寸前まで彼女とは他愛のない話をしていました。「一緒に遊んだ時間は楽しかったです、誤解しないでね」と彼女は最後に笑っていってくれました。私もそれに大きく頷いて「ありがとう」と返しました。笑顔で別れられたことに、随分と私は救われたと思っています。

 

今回のことを私にとって学びと評するにはあまりにも身勝手極まりないと思いながらも、しかし今回のことを肝に命じておく必要はあると痛感させられました。その痛みを忘れないように。

 

…でもやっぱり難しいよ。世の中の夫婦·カップルはなんでそうあり続けられるのか。皮肉でもなんでもなく本当に尊敬しかない。人としての何か大切なものが、自分には欠けているんじゃないかと不安を覚える。

 

ダメだダメだ、今日はもう寝よう。一人相撲に軍配は上がらないのです。風呂入って飯食ってとっとと寝るべし。では。

心の前回り受け身な話。

電車にタッチの差で待ち合わなかったので、駅で待ちぼうけをしています。30分の待ち時間ができたのでちょいと日記をば。

 

久しぶりに少々気分が落ちている自覚あり。しっかり寝てもなんとなく気分がスッキリしない感じ。最近は数ヶ月単位で調子が安定していたので、周期的にはよくもった方じゃないかと。

 

自分のバイオリズム的なものに加えて、仕事でも難しい案件を抱えてしまっているのがツラいところ。しかも自分が努力して解決する類のものではないので、のらりくらりやっていかないと仕方ない。まぁそういうことがままある仕事ゆえ、こういうときは時間がなんとかしてくれるのを待つしかありません。

 

悩みに振り回されるのは致し方なし。でも、受け身をとる努力は忘れずに。ズタボロになりつつも急所だけは死守する姿勢で今日もどっこい生きております。20代のうちに自分の急所をある程度把握できてよかったなぁ〜って思います。

 

今日は久々に会う友人と飲む予定があります。うまいもん食って、愚にもつかない話をするのが一番の日薬。とても楽しみ。では。