みちばた日誌

いまをぼちぼち生きる。

ルマンドと付き合いたい。

ブログをやっていてつくづく良かったと感じる瞬間の一つが、誰かにだる絡みしたくなった気持ちをインターネットのドブ川に不法投棄するときだと思います。喜怒哀楽のいずれに該当するかわからないような感情に襲われる週末の夜。こんなときは心の移ろいゆくままに、湧いては消える泡沫のごとき言葉の調べを奏でましょう。虹色の油膜が映えるドブ川に、不協和音のあぶくを添えて。

 

お菓子で付き合うとするならルマンド一択である。もはやそれはこのちいさな島国Zipangの漢ならばあらためて確認するまでもないことであるのだが、今日はあえて言葉にしてみようと思ふ。上の口にホワイトロリータ咥えて傾聴されたし。

 

まずルマンド嬢の容姿であるが、和を感じさせる妙齢の子女である。「和を感じさせる」も「妙齢」もふわふわした表現であるが、そのあたり各人の想像に遊びをもたせる一種の仕掛けであることをご留意願いたい。どんとしんくふぃーる、お前の中の獣を解放しろ。

 

つづいて内面であるが、非常に繊細である。子女に対して日本男児が向かい合う際、雑な振る舞いをすることはご法度である。かばんの中にもらったルマンドをそのままつっこんで帰宅したときには粉々になっていた、なんて経験があなたにもあるのではないだろうか。思いあたるそこのあなた、夜が明けたらすぐに泌尿器科に赴きパイプカットされたし。

 

繊細な反面、しかし一方で面の皮の厚い一面もあるルマンド嬢。蝶よ花よなうら若き乙女にはない、社会を生き抜くための顔を彼女は持ち合わせているのだ。誰とでもある程度仲良く、ゆえに深い仲の人間は少ないタイプである。外面がよい、と言い換えてもよい。脆く危うげな心の内を守るため、不要な争いを避ける防衛本能とでもいうべき資質である。

 

そんなルマンド嬢とのデートはもっぱら美術館に書店めぐり。いつも客がまばらな、しかし地元に根強いファンがいつの時代も一定数いるタイプの喫茶店でその日見たものの感想を語らったり、各々が買った本を読んだりしながら静かな時間が流れていく。そんな時間を共有することが、不器用なふたりの幸せな時間なのだ。

 

その後なんやかんやあって、彼女に手ひどくフラれるわけであるが、そういう自分の手に負えないところも好きなのだ。臆病な私は彼女を傷つけることを恐れて、結果彼女が本当に求めていることに気づかないのだった。本当に必要だったのは彼女を傷つけまいと努力することではなく、彼女を守り抜くという覚悟であると気づくのはもっとずっと後のことであり、そう悟ったことでようやっと彼女を思い出にするのである。

 

ちなみに彼女にしたくないお菓子筆頭はエリーゼである。ホワイトもブラックも異なるベクトルでやばい女感がすごい。お菓子としては好きだけど。では。