みちばた日誌

いまをぼちぼち生きる。

耳用のムヒの話。

 

耳掻きのしすぎか、最近耳のなかがかゆくなることが多くなったので買ってみました。

 

綿棒に薬液をつけて塗布するので、素人にも扱いやすくて助かります。ただ、塗るとスーっとする感じで瞬間的にはかゆさが治まるのですが、薬の液量の問題か、しばらくすると耳のなかに残っている薬液の「いる」感じでムズムズしてくる。悩ましい。

 

しばらく使ってみて、かゆみがなくなることを祈ります。ちょっと高かったしなぁ…。

 

【追記(2021.06.17)】

驚くほど効きました。

一日3回の塗布を3日ほど続けたところ、毎日綿棒が手放せなかったほどの痒みが一気に鳴りを潜めました。やはり薬は偉大だわ…。

感覚と言葉の話。

行き詰まったり思い悩んだりしたとき、なんとなく足を運ぶ場所があります。隣町の河口にある海浜公園です。悪夢にうなされて3時半に目覚めた私は、修理したての自転車でここを訪れました。

 

片道45分、道中には大きな坂もなく、幹線道路に沿って走るのでコンビニなんかに寄ることもできるということもあって、スマホだけ持って出れば困ることはありません。行きがけ、100円の缶コーヒーを買ってポケットに忍ばせました。

 

ここ数日強めに降った雨のせいか、外は湿気った風通しの悪い部屋のような、そんな匂いがしていました。文字にするとなんとなく不快な響きになってしまいましたが、この匂いが私はわりと嫌いじゃありません。山奥にある祖父母の家を思い出して、幼少期の思い出が湧いてくるからかもしれません。

 

そんなことを考えながら、今は件の公園でこの記事を書いています。日が高くなって来るにつれ、肌寒いくらいだった気温も過ごしやすくなってきて、代わりに湿気ったあの香りも薄らいできたような気がします。あるいは潮風にかきけされているだけかもしれません。

 

こういう「におい」を感じると、つくづく「言葉で表現することには限界がある」ということに気付かされます。嗅覚で刺激された感情の揺れは、記憶の封印されている壺のふたを軽く持ち上げて、その記憶がまた感情を揺らす。それが連鎖反応的に、マトリョーシカみたいな感じで繰り返されるさまは、言葉で正確に言い表すことはできそうにありません。

 

しかし、もし仮にそうした心の揺らぎを完全に言葉で表せたとして、自分が伝えたい通りに他者がそれを受け取ってくれるだろうか。答えは考えるまでもなく難しいといえると思います。「うれしい」や「悲しい」という言葉一つとっても、その言葉に紐付いている感情や記憶は千差万別です。ゆえに「完璧に表現できた!」と自分では思えたとしても、それを聞き手に自分が意図した形で正確に理解してもらうことはできないでしょう。

 

つまるところ、言葉による表現の限界は①表現する側の表現力による限界、②表現を受け取る側との理解の差による限界、少なくともその2点において生じるのだろう。…みたいなことを思いました。

 

私は頭でっかちなのでついつい物事の理解を言葉に頼りがちなのですが、①の表現力の限界を考えると、もう少し肌感覚というか、感じたままを感じたままにしておくようにしておくことも必要なのかもしれないと思いました。感じたことすべてを言葉に置き換えてしまうことはできないし、無理矢理にそれをしてしまえば本質をねじ曲げかねないなぁ、と。

 

見たこと、聴いたこと、触れたこと、嗅いだこと、味わったこと、そのどれにも属さないけどとにかく感じたこと。それを自分のなかで丁寧に貯めていけば、人生の焦りや寂しさも和らいでいくのかもしれません。

 

そして、もし自分の感動を他者と共有できたと感じられたとき、それは文字通り「有難いこと」であって、そういう瞬間を大切にしたいと思いました。ちがう人間同士、むしろ伝わらないことの方が自然なわけですから…。

 

寝ぼけ頭で考えるにわか哲学ほど無駄なものもないと思いつつも、なんか自分なりに考えがまとまったので書き残しておこうかなぁと。そんな風に思いましたが、もう既にあとから見返すのは恐い…。笑

 

でもまぁ、なんだか気分がスッキリしたので良しとします。こんなもん見せられた側はたまったもんじゃないでしょうが…お許しください^^:

 

さてそれじゃ帰りますか、お腹空いたし。

ベランダでの話。

雨上がり、気温が下がって空気が澄んでいたので、夕飯を食べてからベランダで佇んでいます。

 

四つ足と座面だけのシンプルなアウトドアチェアに腰かけ、エアコンの室外機にマグカップを置く。半袖では肌寒いくらいだったので、捨てようと思っていたジップパーカーを羽織りました。

 

ご近所の迷惑にならないようにスマホの音量を絞って、空気公団のアルバム『夜はそのまなざしの先に流れる』を連続再生しながら、赤紫の夕暮れが徐々に暗い青へと変わっていく様子を眺めています。

 

仕事が嫌で嫌で仕方がないこと。研究が遅々として進まず、大学を辞めようかと思っていること。28という年齢で、まったく先を見通せない現状。もういっそ…と思うたび、自分にそんな度胸がないことを自覚して自己嫌悪に陥る日々。

 

ここにいるとそういうドンヨリとした何かが、ほんの少し軽くなる気がします。何も変わらないけど、ちょっとだけやさしい気持ちになる。

 

「明日も頑張ろう」なんて前向きな言葉は浮んできません。でも「明日もなんとか乗り切ろう」くらいのことは思えるようになりました。流されるままに、行けるところまで行ってしまおう。あとのことは流れ着いた先で考えることにしようと思います。

 

紅茶が冷めてしまったので、そろそろ部屋に戻ろうと思います。おやすみなさい。

熱中症にご用心、な話。

GWも折り返し地点。しかし相変わらず世の中はコロナコロナでまともに出かけることもできません。…もっともGWの前半戦は自宅に籠ってウマ娘三昧だったので、それほど苦しんでるわけでもないのはここだけの話。

 

とはいえ家のなかに居続けるのも健康によろしくないだろうと思い、知人の畑作業のお手伝いをしてきました。お日さまをしっかり浴びて、農作業で汗もかける。しかも外でお弁当を食べられるということもあって、お誘いを快く受けたのでした。

 

…が、ここ最近の自分の運動不足をあまりにも甘く見すぎていた。途中休憩をしっかり取りつつも、快晴の下、午前中から日が傾き出すまでのみっちり作業。そんなもの、ベッドに根の生えたような生活を送っているこの身体が耐えられるはずもなく、帰りの車内では吐き気と手のしびれ、両足のこむら返りと典型的な熱中症の症状が出ていました。

 

帰宅するとそのままソファーに倒れこみ、アクエリをがぶ飲み。家族に作ってもらった氷袋で大腿部を冷やつつ、吐き気と戦っていました。ほんとに参った。

 

しかもそんな日に限って、晩ごはんは庭でBBQときたもんで…^^:

気持ち悪さでいっぱいになりながらも、しかし肉は食べたいという複雑な思考を抱えながらぶっ倒れていました。

 

まぁでも結局、30分ほど横になったところで吐き気も収まりしっかりお肉にはありつきました。笑  細胞の隅々に栄養が行き渡るあの感じは、さながらカリオストロの城で伯爵に撃たれたルパンが、目を覚ましてから山盛りのごちそうを胃袋に詰め込むあの感じ。しんどかったですが、生きてる感じがしてそれはそれでよかったです。

 

なにはともあれ、明日からちゃんと体力作りをしよう。そう心に誓って、今日はゆっくり眠ることにします。おやすみなさい…。