みちばた日誌

いまをぼちぼち生きる。

デスクバイクとかいうディストピアの産物、あるいは安住の地。

ちょこザップに通いだして数ヶ月。行ったり行かなかったり、行かなかったり行かなかったりで体重はプラス2kgのところにきています。いたって順調といえるでしょう。痩せるという目的が果たされずとも、ユーザーに継続的に利用しようとする意思を尽きさせないという点にこそ、躍進を続けるちょこザップの魅力が詰まっているといっていい。格安ジムに加入しているというその事実そのものが、人々の心の健康に寄与しているのです。そういうユーザーがちょこザップを支えているという確信がある。

 

そんなわけで今日はちょこザップで日記を書いております。デスクバイクなるエアロバイクを漕ぎながら仕事ができるというワーカホリッカー垂涎の器具が最寄りの店舗に導入されたので、まぁいっちょやってみっかと。実際問題、体動かしながらキーボード叩くとかいうことが超弩級のシングルタスク人間の私にできるのか。それを確かめる実験でございます。

 

結論から申し上げると、なかなかいいですコレ。サドルとテーブルの高さが変えられるのでポジションに無理がない。漕いでいる間のガタつきもほぼないので、作業自体に集中できるのもポイントが高いです。作業と運動の両立も、軽いギアでのんびり漕ぐ分には問題なくこなせました。かれこれ30分ほど続けておりますが、ほんのり汗ばむくらいの感じのなか、文章を考えたり、Twitter見たり、YouTube流したりと自然体さがすごい。というか作業進んでないから両立はできていない気もする。まぁ複数のタスクをこなせてることを考えれば実験は成功と評していいのではないかと思います。

 

またひとつ「おまえの場所」を見つけてしまいました。快適なながら運動を求める民にはなかなかオススメできる気がします。ただ今は私の場所ですので、使いたくば奪い返してください。できるものなら。それでは。

7の幸せ。

仕事終わりの日記です。

『今日はいい仕事ができた』『ホームラン級の働きだった』。そんな風に思えるのは極めて稀なことですし、だからこそそんな日に飲むビールは美味いんじゃなかろうかと。30代に入り、そんなことを思える程度には人間をやれているのだとほんのりと安心している私です。

 

それと同等に、あるいはそれよりもずっと価値ある「仕事の手応え」というものがあるのではないでしょうか。それが『今日は上手に手抜きができた』。これ。

 

まさに今日がそんな感じの一日でした。段取り通りに事が運んで、大きなトラブルもなく、それでいて同僚に仕事を任せながらバタバタせずに一日が終わる。こういう心に余裕を持ったまま全てが完了する日は年に数回あるかないかなので、今心の底から感動しているところです。

 

こういう日に飲むビールは達成感のある日に比べればそこまで美味くない。なので今日は多分飲みませんが、世の中のもろもろのありがたさを噛み締めながら、日干しできていない布団に包まれてそこそこしっかり眠れる気がします。そのくらいが10段階中の7の幸せではないかと思うのです。この幸せ観のもと残りの人生を送っていきたい所存であります。

 

週末はランドリーで布団を洗濯しようかと思います。これで8です。まだ上がある。あまりにも最強。それでは。

免許更新の話。

運転免許の更新のため、運転免許更新センターに行きました。更新ハガキが来てから(あぁ…行かなきゃなぁ…)と思いつつ、気づけば更新期日ぎりぎりになってしまいました。期限ギリギリまでやらなきゃならんことを先延ばしにするいつもの癖により、足元の悪いなか電車とバスを乗り継いではるばる明石までやってくるハメになったわけです。されど我が辞書に反省の二文字なし。

 

免許更新のときのあの雰囲気、私はけっこう好きです。ここで働いている全ての人が、私含め免許の更新に来た"輩"をまるでベルトコンベアーで運ばれるじゃがいもがごとく捌いていく感じ、あれがとても心地よいです。

 

令和の世になって、どこもかしこも愛想を振り撒け、コンプラを守れと息苦しさで溢れておりますが、ここはそういう過剰なサービス精神みたいなものがなくてむしろホッとします。こちらも言われるがまま、流されるまま、気づけば講習会場にたどり着いておりました。

 

淡々と事務的に処理されるのって、これはこれである種の快感があるんですよね。大きなトラブルなく事が進んでいるってことでもあるし、社会の一部として問題なく機能している自分を実感して安心できるのかもしれません。

 

講習も終えられて無事新しい免許証を受け取りました。そこには全体的にぼんやりとした画質で、ジャケットの襟元がだらしなく乱れている死んだ目の三十路男がいました。“人間“という品種として見れば、とりあえず廃棄されることはなさそうな出来栄えではないでしょうか。

(´・ω・`)出荷よー

 

それでは。

 

【追記】

今日は絶好のベルトコンベアー日和と判断したため、帰宅途中に献血センターに寄りました。気づいたら血抜かれてて、気づいたらドリンクバーでコーンスープ3杯飲んでました。転がされ上手なおじさん。

仕事で旅はできない。

研修旅行で博多に来ております。仕事終わりに新幹線に飛び乗り、金土日で二泊三日という工程です。…といっても研修のための施設見学は二日目の午前中だけで、実質的には慰安旅行という側面が強いものになっています。

 

宿は自分ではまず取れないようなかなりオシャンなホテルだし、食事も会社持ちでしかも文句のつけようがないほど美味いときている。部屋はセミダブルベッドでも圧迫感を感じないほどの広さ、かたわらに着替えや洗面用具を雑に散らかしていてもタブレットをどかっと置いて日記が書ける程度にはでかい机。もちろん一人部屋。

 

旅行好きの私にとって、身銭を切らずにいい宿・いい飯・いい温泉にありつけることほど幸せなことはない。…と出発したときには思っていたのですが、いざ博多に降り立ってみると信じられないほど気分がすぐれない。陰々滅々とした感情が泉のように湧き続け、肩がズシンと重くなる感じがつきまとっています。

 

率直に申し上げましょう。しんどい。早く家に帰りたい。ただただそう感じている次第でございます。

 

仕事で行く旅行というのはこれほど気が重いのか。上司のご機嫌を伺いながら、当たり障りのない話題を探し、常に消化不良感の残る場のコミュニケーションで神経がじわじわ削られていく。地獄すぎる。

 

贅沢だ、わがまま言うなと世間様から詰められようとも、今ここで心情を吐露せねばならぬと思い必死にキーボードを叩いております。このしんどさをごまかしたら絶対に精神がいかれるという確信がある。生きて故郷の土を踏もうぞ。では。

研修帰りのおじさん、ブルーシールに行く。

研修で神戸に来ています。カロリー高めの内容だったこともあって、帰り道になにか食べて帰ろうかしらと。


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あるじゃないの、ブルーシールアイス。本日19日ゆえクレープが割引だそうです。ここに決まりです。


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きゃわわ〜♡店内BGM、めっちゃへそ出してそうな女子が歌ってるアレ〜〜♡クレープまじモチモチモチのし〜〜〜ん♡♡♡

 

出張帰りの三十路おじさんが一人でブルーシールにいるのがなかなかよかったので、記念カキコです。乙でした。

アラサーおじさんが子どもについて思うこと。

先日、姪っ子が遊びに来ていたので、半日相手をすることになりました。年子の姉妹で上のお姉ちゃんは気づけばランドセルを背負うような年にさしかかっているようで。子どもの成長は早いなんていいますが、本当にその通りだと思います。

 

妹ちゃんを膝に乗せながら図書館で絵本の読み聞かせなんかを聞いていますと、自分にもこのくらいの子どもがいても何ら不思議ではないという事実をぼんやりと考えさせられました。独り身に慣れきってしまっていることもあってか、このちいさな生き物が近くにいる生活の想像できなさに、喜怒哀楽のどの部分の感情かわからない気持ちが膨らんでおります。

 

6時間ほど遊び相手をしたころには、精魂尽き果てたといった具合に自室に引き上げざるを得ませんでした。全力放電と高速充電を繰り返すあの生き物らとは、半日付き合うのが私には関の山。つくづく子どものいる生活と自分自身との間には、結婚相手がいないという事実以外の部分でも大きな隔たりがあるように思います。

 

基本的に子どもが嫌いなわけではないと思います。しかし、あまりにエネルギッシュでどこまでもマイペースなあの生き物に対する向き合い方が一向に掴めない。親になれば、毎日ふれあう関係になれば、そうした考えも変わるのかもしれません。でもそれではいささか無責任な気もするのです。「案ずるより産むがやすし」という言葉を鵜吞みにするには、到底看過できない「現実」が世の中にはいくらでもあるでしょう。

 

…なんだかんだ書きましたが、結局のところ自分自身がいまだに子どもなのだと思います。社会的な動物として獲得しなければならない何かを、自分は気づけないままいい年になってしまったんじゃないかと。

 

そんなことを思いながら、しかし今日も一日が終わります。一ついえるのは、これは安易に答えを出すような問題ではないということ。生きていれば、考え続ければ、よりベターなところにいきつくでしょう。そんなわけで今日は寝ます。では。

平成の価値観に縛り付けられる男、スパ〇ダーマッ!

プリティーが過ぎる。

 

セリアにて販売中の「ミニチュアクッション」なるものの存在をTwitterで知りまして。こいつをひっかけフィギュアの台座にすると非常に収まりがよいということを聞き、部屋の奥に封印していたナリタタイシンを引っ張りだしてきた次第でございます。

 

自分はわりと収集癖が強いタイプで、推しキャラのグッズで良さそうなものはけっこう買い集めていたりします。ただその一方で集めたグッズを飾る習慣は全くといっていいほどありません。飾らない理由はいろいろあるのですが、端的にいえば恥じらいを捨てられずにいるのです。平成の時代に捨て置かれた概念、「隠れオタク」の生き残りとでもいいましょうか。

 

コンテンツがわき散らかす令和の世において、他人の趣味にとやかくいうことほど不毛でナンセンスなことはないでしょう。あくまで各々の領分のなかで楽しむ分には、アニメもドラマも車もサーフィンも野球もクリケットも、それを好きであることを否定される道理はないわけで。そう考えれば別に部屋にキャラクターグッズの一つや二つあったってたいした問題ではないのです。

 

それでも自室を趣味のもので飾れないのは、自分が平成を生き抜いてきた人間で、そしていまだ”あの時代の”サブカルチャーへの世間の風当たりの強さを忘れられない亡霊だからなのかもしれません。どーまんせーまんは『推しの子』ではなく『レッツゴー陰陽師』の文化だろう、そんな呪いで現世に留まり続ける悪霊だ。頼むから成仏してクレメンス。

 

そんな私ですが、地元の百均でフィギュア用の小物を普通に買えるあたり、もうだいぶ令和流に染まれているような気がします。なによりタイシンがかわいいのは自明の理、火を見るよりも明らか。このタイシン像に手を合わせれば悪霊退散待ったなし。

 

タイシンかわいい、ヤッター!

キモオタという言葉は背負うべき十字架ではなく、称賛されるべき誉れと心得よ。それでは。