みちばた日誌

いまをぼちぼち生きる。

もんじゃ、カブを買う話。

「あつまれ どうぶつの森」をはじめました。世間でのブームが一段落してしまっていることもあり、島の中に引きこもって一人で黙々プレイをしております。ひきこもれ、どうぶつの森ただ、こっちのほうが性にはあってる…悲しいかな。

 

さて、プレイしはじめて約一か月。住民も増えたし、島の雰囲気にも多少の個性が出てきたような気がします。財産の貯えもできてきたということで、満を持して「カブ」に手を出すことにしました。のんびり島ライフでの資産運用です。

 

未プレイの方に簡単に説明しますと、あつ森における「カブ」とは読んで字のごとし、あの野菜のカブのことです。そしてこれは同時に「株」でもあります。毎週日曜日の午前中にウリボーのウリくんが島にやってきて、ばあさんが作ったというカブを売りに来ます。このカブは普通に食べることもできますが、たぬき商店で買い取ってもらうことも可能です。この買取額が一週間の間で上がったり下がったりするので、自分がウリ君から買った額よりも高い値段で売れるときに売却することで資産を増やすことができるのです。ただし野菜ですから一週間放置すると腐ってしまいます。それまでに売却することが必要なため、希望する金額で売却できるとは限らないというのがミソ。

 

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(参考画像:ウリ)

 

現実では投資に手を出す度胸も金もない私。そんな私でも投資とは余剰資産を活用して行うのが鉄則ということはどこかで学んだ気がします。あくまでも投資は生活費などの必要経費を除いた資金で「無理のない運用」をすることが大切なわけです。人生大逆転をかけて全財産をカブに替えるというのは大変リスクの高い行為ということになります。カブはギャンブルではありません。冷静さを欠いた投資は身を亡ぼすのです。

 

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11,080カブ

金額にして1,141,240ベル(一カブ=103ベル)

残りの手持ち、673ベル

 

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勝負の世界においては保身に走ったやつから死ぬ…!

宵越しの金で人生が変わるか…??

否、漢ならAll or Nothing…‼‼

出せ…全部…ありったけ……全部だ………ッッッ!!

 

 

そんなわけでひりつく一週間が始まりました。果たして土曜日までにカブ価は上がるのか?一カブ103ベルで買ったので、目標としては200ベル以上のタイミングでの売却!ご期待ください!!

 

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くそったれ!!!!

3本のポテト、の話。

先日当たった宝くじを元手においしいものを食べることにしました。モスバーガーです。身近にありながら庶民がおいそれと立ち入ることのできないお店、それがモスバーガー(個人の感想です)。

 

普段なら注文するのは原点にして頂点、王道中の王道「モスバーガー」一択なのですが、今回の私は一味ちがうのです。なぜなら宝くじで得た1200円があるから。モスのアプリでクーポンを確認し、「とびきりチーズ」なるハンバーグが大層ジューシーそうなやつをチョイス。そしてさらにポテトのLセット。普段は懐とお腹周りを気にしてSにするところですが、今日はそんなのお構い無し。なぜならアブク銭があるから!

 

そんなわけで注文を終え、お気に入りの角スペースの二人がけ席(広々使えて一目にもつきにくい)を抑えることにも成功し、私の勝利は約束されたように思えました。料理に先んじて到着した「瀬戸内産ネーブル&レモン ジンジャーエール」も甘さ控えめで自分好みでしたし、まさに天にも昇る気持ちといったところ。

 

そして事件は起きました。

料理を運んできた店員のお姉さんが、バーガーとポテトのトレイをテーブルに置いたときでした。置いた拍子に3本のポテトが袋からこぼれ落ち、トレイの外のテーブルに落下したのです。

 

一瞬の静寂。そののち、お姉さんの「…あっ、申し訳ありません!」の声とともに、お姉さんはすばやく落ちたポテトを回収していきました。「ごゆっくりどうぞ」と。

 

刹那の出来事にこちらは一言も発せぬままでしたが、お姉さんが立ち去ってから回収されてしまった3本のポテトの映像が頭から離れなくなりました。そして小さく心が呟くのです。

「あれは…あれは…俺が食べるはずのポテトだったはずなのに…」と。

 

それからの私はまるで魂を抜かれたかのように虚ろな目をしていたと思います。3本のポテトが落ちた場所には食塩の粒が散らばっており、あの出来事が現実のことであると物語っていました。

 

お姉さんの対応は基本的には正しいのです。トレイならともかく、テーブルに落ちてしまった食べ物をお客さんに出すのは大変失礼なことです。ゆえにそれを拾い上げ、バックヤードへ引き上げていったのでしょう。

 

しかし一方で、こちらはお金を出して買ったポテトを目の前で取りあげられてしまったのです。それも3本のうち2本は私の人差し指くらいの長さの「当たりのポテト」だったにもかかわらず。机の引き出しから出てくる死にかけの消しゴムみたいなやつではなく、食べごたえ抜群だったであろう「当たりのポテト」だったのです!

 

お姉さんの「申し訳ありません」のタイミングで声をかけるべきだったか?

「あ!大丈夫ですよ!床に落ちたわけでもないし、そのポテトも食べますから袋に戻してください」と佐藤健ばりの爽やかさでいえばあるいは…。

 

しかしそれもどうか。お姉さんに意地汚いと思われるのではないだろうか?そもそもやっぱり衛生的な問題で結局は持っていかれていたのではないだろうか?というか俺のなかに佐藤健のエッセンスを見出だすことは可能なのか?グギギ…憎いよぉ…全く関係のない佐藤健が憎いぃ…

 

お姉さんが去ったあとしばらく本気で「きっと替えのポテトを持ってきてくれるはず…モスバーガーはそういう配慮のできる子だから…」と考え、そわそわしながら待っていた私。しかし待てど暮らせどそんなものが届く様子はなし。冷静に考えればそりゃそうだろうと思うものの、ポテトを3本やられた直後の私にそういった冷静さがあるはずもなく。

 

食事を終えた私に残ったのは拭いきれないモヤモヤとした気持ちでした。お店に入ったときのあの全能感はどこへやら。たった3本のポテトに心を蝕まれ、心ここに非ずのままお店をあとにすること。この気持ちはどう扱えばいいの…?

 

モスバーガーにひとつ、因縁ができた話でございました。味は最高でした、悔しいけど。笑

元上司と宝くじが当たった話。

メルカリで売れた商品を発送するため、郵便局へ。週明けだったこともあってか、いつもは混みあうこともない窓口にお客さんの列ができていました。珍しいなぁと思いつつ、ぼんやり列の最後尾へ。

 

スムーズに列は進み、次は自分の番というところで窓口に目をやると、以前勤めていた職場の上司だった人が窓口で手続きをしていました。直属の上司で一緒に仕事をしてきた人だったのですが、仕事を辞めたときはその人とはちがう部署だったこともあり、また退職も半ばバックレに近い形だったので、その人とは挨拶できずになっていました。

 

そんなわけでなんとなく気まずさを感じながら順番を待っていると「次の人どうぞ~」の声が。よりによって元上司の対応をしているすぐ隣の窓口に呼ばれてしまいました。

 

できるだけ小声で「…普通郵便で」と言ったのですが、隣の窓口とは距離にして1mないわけで、どう忍んでも声が届いてしまう距離。案の定、元上司がこちらをチラッと見るのが横目でわかりました。南無三。

 

しかしこっちは全く気付いてないフリに徹していたこともあって、向こうも声をかけてはきませんでした。今になって何を話していいかわからんのはお互い変わらないのだと思います。無視しといてなんですが、ホッとしたような、ただほんのちょっとだけ寂しいような。そんなわけで何事もなく郵便局をあとにしました。

 

その帰り道、大型スーパーのある通りでふと宝くじを買おうと思いました。良くも悪くもこういう珍しいことが起きるときはきっとなんぞあるもんだ、というあまり根拠のない思いつきでスクラッチくじを1000円分買いました。

 

帰宅してくじを削ってみたところ、なんと当たっていました。しかも2枚。

 

合わせて1200円の当たりだったので、元は取ったという程度ではありますが、元来こういう当たりに縁のない人間なので素直に喜んでいます。なにせ宝くじ自体、買うのは数年振りのことでしたから…。

 

そう思う一方で、なんとなく今日は当たる気がしたのも事実。偶然が重なっただけのことといえばそれまでですが、普段はあまり信じないオカルトな何かを感じたような気がしました。

 

掴めやしない夢を買ったらほんのり色がついて返ってきたので、明日はお昼にちょっといいものを食べようと思います。総合的に見ていい一日だったということで。合掌。

スーパーマリオワールドの思い出の話。

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ついに買ってしまった。ニンテンドースイッチでございます。友人から桃鉄をやろうと誘われ、勢いで「じゃあスイッチ買うわ!」といってしまったのですが、こういう勢いがないと一生買わないだろうと腹をくくり、Amazonでポチったのでした。

 

とりあえず件の桃鉄を合わせて購入したのですが、THE・パーティーゲームを一人でプレイするのもなぁ…ということでいまだ未開封。他のソフトはメルカリの売り上げ残高でなんとか買えた「あつまれ どうぶつの森」がありますが、こちらはまだ手元には届いておらず。とりあえず自分のMiiを作ってお茶を濁そうとしたものの、約15分でほぼ自分の顔を作り上げてしまいました。期せずして「俺の顔、パーツがシンプル過ぎる」という気付きを得る。

 

そんなわけでせっかくのスイッチもしばらくは置物かな~…と思っていたのですが、そこはさすが天下の任天堂。無料でファミコンスーファミのソフトを遊べるサービスがあると知り、さっそくダウンロード。最新ゲームに関心が薄く、かつ懐ヒエッヒエの私にはまさに渡りに船でございました。

 

そのサービスでプレイできるソフトの1つが「スーパーマリオワールド」、いわずと知れたスーパーファミコンのローンチタイトルです。ついでにいえば私にとって大変思い出深いソフトでもあります。

 

なかなかゲームを買ってもらえなかったこども時代の私に、初めて与えられたのがスーパーファミコンでした。父が職場の方から譲ってもらったもので、世の中にはすでにプレイステーションニンテンドー64が出回っていた時代でした。そんな世間の流れなどどこ吹く風で、私は初めてのテレビゲームにそれはもう熱中しました。

 

譲ってもらったソフトの内の一本がスーパーマリオワールドでした。軽快なアクションにボリューム抜群のステージ数は、幼い私が「これは永遠に遊んでいられるやつでは…?」と思ったのも無理のない話。事実、幼少の私は親の目を盗んでは一面一面せっせと挑み、隠しゴールを探したものでした。

 

そんなある日、事件が起きます。ある日、私がいつものようにマリオをプレイすると、なんとすべてのセーブファイルが「ハジメカラ」になっているではありませんか!どうやらセーブ機能がいかれてしまったらしく、新たにセーブデータをメモリーすることもできなくなってしまいました。

 

そんなわけでそれからの私は、電源を入れてから電源を落とすまでの間でマリオをどこまで進められるかというプレイに傾倒していきます。今風にいうとRTAってやつです、たぶん。

 

そんなプレイをしていたので、マリオワールドはそれなりにやりこんだ自信がありました。それを久しぶりにできるということがわかって、はえあるスイッチでプレイする一発目のゲームとすることにしたのです。

 

久々のプレイで道中多少ミスはあったものの、およそ30分でラスボスクッパに到達。そして一機もマリオを失うことなくエンディング。まだまだ自分も捨てたもんじゃないな!と思った反面、昔の自分がいかにこのソフト以外遊ぶものがなかったかということを思い知り、若干切ない気持ちにもなりました^^:

 

時代が進み、ゲームの技術も進歩しましたし、なにより自分も大人になってお金や時間を自由に使えるようにもなりました。でも不思議なもので、ゲーム、もっといえば本や音楽なんかも、あの時ほど噛み締めるようには味わえていないように思います。

 

そういうもんだろうとも思うし、なんとなくそうではいけないような気もします。久しぶりのスーパーマリオワールドはあの頃と変わらずおもしろかったですが、なんだか不思議な気持ちにさせられてしまいました。

 

そんなことを思いながら、今日も私は雀魂で打ってるし、デレステの無料10連に心を踊らせるのです。さっきまでのノスタルジーはどこへやら、人間というのは現金なものです。そんなわけで、桃鉄の相手してくださる方を首を長くしてお待ちしております。ではでは。

散歩とまんじゅうの話。

郵便局まで散歩。大学時代の友人にみかん農家になった人がいて、毎年おいしいみかんを送ってもらっています。そのお代を送金するために出かけました。

 

今日は季節外れの暖かさでした。郵便局を出たのが15時半。まだまだ日も高いということでもう少し外をぶらつくことにしました。

 

郵便局の裏道を抜けて、公園のれんが道へ。公園の中央には噴水があったのですが、気づけばなくなっていて、代わりに健康器具のようなモニュメントが地面から突きだしていました。わりと立派な噴水だったので、それと比べると随分チープな感じになったように思います。でもまぁ、維持費や水道代を考えればこちらの方が経済的でしょうし、これでいいとも思いました。

 

公園をつっきると河川敷に出まして、そのまま川上に向かって歩いていきます。年末の慌ただしい時期だからでしょうか、こんなに暖かいのに河川敷のグラウンドにはほとんど人がいませんでした。春には桜の花でいっぱいになるこの道も、いまは枯れ木が静かに佇むのみ。ぼんやりと歩いていきます。

 

河川敷から国道に出て橋を渡ります。橋を渡った先には学習塾があって、冬休みだろうと関係なく学生の自転車がびっしり停っていました。学生たちは夢とかやりたいこととかに向かって勉強しているのだろうか、などと考えたりしながら、ぼちぼち高校卒業10年を迎える自分には夢や希望があるだろうかとしばし思いを巡らせてみたり。

 

道中に和菓子屋さんがあったので饅頭を4つ買いました。本当は2つくらいでよかったのですが、お店のおじさんに一人で食べるために買うと思われるのがちょっと恥ずかしくて多めに注文。お店を出てから思いましたが、2つも4つもそんなに変わりゃあせんだろうと。笑

 

かつて城下だった古い町並みを進み、山のふもとの公園の横を通りすぎようとした時のこと。ふと道のわきに目がいったのですが、そこには今まで入ったことのない山道があるようでした。入り口に看板はなく、どこに抜けるかもわかりません。こういう道は大変わくわくします。躊躇なしに山道に足を踏み込みました。

 

足元は赤と黄色の落ち葉でいっぱいでしたが、山道自体は舗装されていて歩きやすかったです。途中に「この先神社」という立て札を見つけ、そこまで出られたら休憩しようと思いました。山道は10分ほどで、登りきるとひらけたところに出ました。

 

そこは町を見下ろせる見晴台になっていて、おあつらえむきにベンチも設置されていました。そこに先ほど買った饅頭と途中に自販機で買ったお茶を置いて一服。醤油の効いた饅頭は甘じょっぱくて、皮のもっちり感もいい。それをまだぬくいお茶と一緒にいただけば、ただただ至福の時間。4つの饅頭はあっという間になくなってしまいました。

 

帰りがけに神社に手を合わせていくことにしました。敷地のなかでまったりお茶をさせてもらったことを詫びて、そして1円を賽銭箱に投げ入れました。気持ちばかりといいますが、まさに文字通り。逆に失礼をはたらいているような気もしますが、こういうのは手を合わせることに意味があるとかなんとか。そう自分に言い聞かせて、その場をあとにしました。

 

冬は暖かいというだけでちょっと幸せになります。お日さんの温度を感じられるのはこの時期なかなか貴重なことで、暖房に慣れてしまった身体にはまさに薬のようなもの。そこにうまいものがあれば、それはまさに至福というべきものでしょう。

 

次から散歩に出るときは小銭入れを持ち歩こう。そう思った冬の一日でした。

 

 

ひとり納泳会の話。

通っているプールの年内最終営業日だったので、泳ぎ納めに行ってきました。

 

なんとなくこういう区切りの時というのは普段とちょっとちがうことがしたくなるもので、5,000mチャレンジというのをやってみることに。読んで字のごとく、5,000mをノンストップで泳ぎきるというもの。余談ですが競泳をやってた人間は距離を示す時、kmではなくmで表記しがち。

 

とはいえそれだけの距離をきちんとカウントしながら泳ぐのかというと、そんなチマチマしたことはやってられません。…というか覚えられない。「桂ァ!いま何キロ!?」を脳内でやり続けるのは、体力的な疲労をはるかにしのぐしんどさがあります。

 

そんなわけで50mを平均何秒で泳げるかというところから逆算して、5,000mを泳ぐのに必要な時間を割り出すことにしました。我ながら頭がいい。

 

ということは…と計算しようと考え出したところで「50mを60秒のペースで泳ぎ続ければ、1時間40分で5,000m泳げるっぽい」という雑な計算で泳ぎ始めることに。実際は50mあたり50なん秒とかで泳ぐのですが、細かい計算があまりにもメンドクサかった。多少多めに泳いでもいいか、ということで端数を無視することしました。頭が悪い。

 

正直泳ぎ続けるだけなら、現役を離れた今でもおそらく3時間くらいは泳げると思います。ただ体力が底をつくよりも先に、一人でただただ延々と泳ぎ続ける虚無感にやられてしまいがち。

 

今回も1時間を越えたあたりで、学生時代に告白してフラれたこととかを思い出して、水中で「みゃーーーーー!!」みたいな声を吐きながら懸命に自我を保とうとしていました。余談ですが水は空気よりも音による振動を届けやすいので、ちょっとした声でもプールの端から端まで響きわたります。気をつけましょう。

 

たまに泳ぎながらプール内の時計をチラ見して、ペースが落ちてないか確認。ついでにいま何分くらい泳いだかもチェック。虚無感に襲われるとペースが一時的にガクンと下がるので、そのあとは多少頑張って遅れを取り戻します。

 

泳ぐ、泳ぐ、時計、泳ぐ、泳ぐ、みゃー!、時計、泳ぐ、泳ぐ、みゃー!、時計、……で、一時間40分。

 

無事ペースを守って泳ぎきりましたが、どうやらこのペースで泳ぐと「みゃー!」に呑まれるのでせいぜい2時間が限度だとわかりました。後半になるにつれて「みゃー!」率が大幅に上がります。よりペースを上げることで脳に思考する隙を与えないようにすることもできますが、そうすると今度は体力がもつかどうかがネックになります。非常に悩ましい。

 

そんなことを考えながら、やっぱり部活ってよかったんだなぁ…としみじみ。毎日死にそうになりながらもキツイメニューをこなせたのは、やっぱり一緒に泳ぐ仲間がいたからこそ。キツかったけど楽しかったし、雑念はなかった気がします。まぁくそしんどかったので戻りたいとも思いませんが。笑

 

大人になった今だからこそまた誰かと泳ぎたいなぁと思ったり、でもまぁひとりはひとりで気楽でいいかと思ったり。そんな2020年の泳ぎ納めでした。

やっぱりひとりで打ちたい、な話。

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段位戦、雀傑に復帰です!

まめに打たないと打ち方や読みの勘が一気に鈍ってしまうことがわかったので、今後はちょこちょこ雀魂を触ろうと決心。

 

…で、久しぶりに麻雀を打っていて思ったのは、自分はネット対局が性に合ってるなと。通話や対面での勝負は少し思うところがあり、しばらく遠慮しようかと考えています。

 

私にとって麻雀というのは、とてもおもしろいゲームではあるものの、あくまでも暇潰しのためのもの。勝てればもちろんいいですが、究極のところ敗け続けても別にいいのです。結果敗けるゲームでもやっている最中は「ここはダメージコントロールでできるだけ振り込まないように…」とか「一発逆転で押せ押せでいくか!」とか常に考えながら打っているので、その間は時間を忘れて楽しめるのです。

 

友人戦においてもその辺の感覚はあまり変わりませんが、コミュニケーションをとりながら打てるということでより一層楽しいと感じてはいます。ただ、勝ち負けというのは人間から冷静さを奪うもの。とくに敗けが込んでくるとフラストレーションから言葉や態度が荒れたりする、そういう気持ちはわからなくはないのですが、でもそんな人と打っているとなんだか勝負に水を差されるというか…。

 

苛立ちのほとんどは対戦相手に向けてというよりは自分に対してのもので、そうした感情の発露(愚痴とかため息など)も自分に向けてのものだとは思いますが、なんであれ強い言葉や露骨に出る態度みたいなものは自分の肌には合わない。そんなふうに思うことが最近たびたび起きて、ちょっとモヤモヤしていたのでしばらくは一人で打とうと決めました。

 

あくまでも自分の肌には合わないという話であって、麻雀というゲームではむしろ普通のことなのかもしれません。感情をむき出しにした勝負に価値を見いだす人も当然いると思います。だからそうしたプレイをやめてほしいなどとはもちろん申し上げませんが、それは私の思う麻雀とは趣が異なるので、そこに混ざってプレイするのは遠慮させていただこうと思った次第です。

 

麻雀に限ったことではありませんが、同じ趣味でも人によって情熱も、取り組み方も、時間やお金の使い方も全然ちがいます。それゆえ衝突することもあるだろうし、だからこそ馬が合ったときの喜びは一入なのだと思います。

 

角が立ちそうな話題ではありましたが、麻雀が自分にとって大切な趣味になってきたので、いま思うことを素直に書いてみようと思いました。わかりあえればよし、もちろん無理に合わせる必要もなし。

ただ願わくば、またくだらないことを話しながら麻雀が打てますように。では。