みちばた日誌

いまをぼちぼち生きる。

私と小鳥とすずと、あと言葉にできないもどかしさの話。

数か月前からカルチャースクールの朗読教室に通い始めました。わりと自分の話し方にコンプレックスがあったので、一度本格的な指導を受けてみたいと思っていたところに、大学近くにあるこの教室のビラを見かけたのでした。

 

月に2回のレッスンで、1時間半先生とマンツーマンで毎回けっこうエネルギーを使います。ストレッチや発声練習などはもちろん、朗読の基本的な知識を教わりつつ、実際に詩や小説を読んでレクチャーを受けます。初めてのことだらけで毎回充実感をもって取り組めているのですが、その一方で実は悩んでいることもあります。

 

それは「どんな作品を読んでも自信がなさそうに聞こえる」と先生にいわれてしまうことでした。いろんな作品を読んでみましたがなにを読んでもそういわれてしまうのです。

 

正直な話をすればそれは自分自身でも自覚しています。声量を変えたり、読むピッチに緩急をつけたり、自分では工夫しているつもりでも、なんとなく暗い感じになってしまう。自分の思い描いたイメージと、実際にアウトプットされる表現がまったくかみ合わない。とても歯がゆいです。そしてそのことを痛感させられたのが、今回の記事のタイトルにもある金子みすゞの「私と小鳥とすずと」なのでした。

 

ある日のレッスンでは、この詩のラストの一行「みんなちがって、みんないい」の部分に悪戦苦闘し、その日は何度読み直しても先生から〇が出ることはありませんでした。「楽しそうな感じで!」といわれ続け、しまいには「・・・いや、わからんです!!」とつい口走ってしまいました^^:

 

自信をもって読むってどうすりゃいいのか、自分の言葉には感情がこもっていないのだろうか、とそのレッスンがあったあとはすいぶんと悶々としていました。まさかはじめてまだ間もないこの段階でここまで苦悩させられることになろうとは・・・

 

ただ不思議なもので、じゃあもういっそ全部投げ出して辞めてしまおうか、とはなぜかならないんです。表現ができないことで感じるもやもやした気持ちは正直たまらなく不快ですが、だからこそちゃんと表現したい。さんざんダメだしされた先生を見返してやりたい。そういうちょっと熱のこもった感じになっているのです。

 

熱しにくく冷めやすい」性格の私がここまで熱くなったのは、これまでの人生を振り返ってもたぶん片手ほどもなかったと思います。そんなわけでこの気持ちの取り扱い方もイマイチよくわからんのですが、ひとまず心たかぶるままに朗読に挑んでみたい。そんな風に考えています。

 

おとなになって、できないことができるようになる経験はずいぶんと減りました。なにかに挑戦するよりも、自分のできる範囲のことだけに留まるようになったのかもしれません。

 

もしも自信にあふれ人に感動を伝える朗読ができるようになったら――。

もしかしたらいまとはちがう世界を見ることができるかもしれません。そう思うとなんだか無性にワクワクするのです。どんな結果になるかはわかりませんが、成長のチャンスを楽しみたいと思います。